「強み」デザイナーぐるの日記

転職、就活、仕事、キャリア、教育、まちづくりなど。

これまた日本初。国立(くにたち)発祥の喫茶コーナー 全国大会に行ってみた Part1

話すと元気になるキャリアコーチ・「強み」デザイナーぐるです。

私が住んでいる国立(くにたち)。調べれば調べるほど、日本初のものが多いんですよね。油そばキウイフルーツ栽培知的障害者の学校など。

そして、先日何気なくFacebookで流れてきた記事。

しょうがいがある人たちがともに働く喫茶店を運営する、全国の団体や関係者の学習・交流を目的とした「全国喫茶コーナー交流会」。
この喫茶コーナーの歴史は、国立市公民館内の「喫茶わいがや」から始まりました。

へぇ〜、知らなかった!何気なく利用している公民館にあるあの喫茶コーナーが!そして、今回24年振りに全国大会が国立であると。そりゃ、行くしかないでしょ!っていうことで2月21日(土)にあった会に行ってきました!

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会場は一橋大学国立市公民館。天気は快晴♪


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午前中は上智大学小林章夫先生の17世紀から18世紀のかけてロンドンで繁栄したコーヒーハウスについて。

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近代政治の原型であり、経済活動の一翼。でも一番の役割はジャーナリズムだそう。

先生のお話はとても面白く、時間があっという間に過ぎてしまいました。あの有名な保険会社、ロイズもコーヒーハウスから生まれたなんて!

以下、メモを貼り付けておきます。

長くなったので、交流会の残りの部分はまた後ほどアップします!

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久しぶりに国立に来た
私は、国立高校 卒業
一橋大学(のキャンパス内)でかなり悪いことした

日本コーヒー文化学会 会長
コーヒーの焙煎 豆はどれがいいかとかそんな話しらない

コーヒーハウスどういう役割を果たしたのか お話する

イギリス 12世紀ぐらいから
パブという空間

パブリックハウス
という総称で呼ばれていた

タバーン 食事する
エールハウス ビール

3つとも似た役割
こういう場所
食事、ビールなど飲み物、泊まることもできる

現在のイギリスにもある
一時期8万件超え
最近減りつつある
禁煙のため

喫煙者は店に入ってビール飲んで外でタバコ吸う
一箱1000円
手がやけどするほど吸う
だんだんめんどくさく

パブにいく人が減りはじめた
それで閉店

そうはいっても
あちこち
基本的には飲食
飲み物はほとんどアルコール飲料

ところが17世紀
王政を倒して
10年ほど共和制
世の中の娯楽
非常に批判的

アメリカ
もともとピューリタンが作った国
極端に守り続けよう
娯楽はいけない
酒もいかん
ピューリタン政権を取ると

パブ ビールがぶ飲み
悪魔の手先


同志社女子大に最初に勤務

カトリック厳しいイメージ
娯楽、飲酒 鷹揚
同志社女子大
酒飲むしタバコも吸う
悪魔の手先 最初の頃批判された

ピューリタン共和制の政権の時代
街中のパブ
コンスタンチノープルからコーヒーが入ってきた
ピューリタン政権にはうってつけ
コーヒーハウスはアルコール飲料は禁止

パブと棲み分け
コーヒーかココア
食事
出さない
何よりもパブ男女入り乱れて呑んでる

コーヒーハウス 女性禁止
男性のみコーヒーあるいはココア飲んでた

コーヒーハウスどんどん増えた
特にロンドン

どんな風に発展したか
近代を作り上げた

近代政治の原型
経済活動の一翼
何よりもジャーナリズム
その役割多い

こと3つを

またたくまに増えていく
2000軒

当時ロンドンに住んでいる人
20万ちょっと
女性は入店できない
子どももだめ
成人男子のための空間
いかに流行ったかの証明

パブ
まともな話できない
コーヒーハウス 冷静な話ができる
コーヒーの香り、なんなんだろう
なかに入るには入場料

400から500円
プラスコーヒー代500円

どこに座ってもいい
何時間いてもいい
トルココーヒー
泥みたいに濃い

木製のお椀みたいなうつわ

大変珍しい
のみながらいろんな話

17世紀後半
政党政治の原型
それぞれの政党の支持者
行きつけの店をつくる

まじめな話
コーヒーハウス

個人の家
人を呼んで話はできない
よっぽど立派な家じゃないと

政治の話をする
政治理念アピール
反対派やっつける戦略考える

ひと昔前
日本政治家
料亭
ふくだやさん
超高級

ふくだやさんも料亭としての仕事やめる

コーヒーハウス
政党政治の土台

二番目
ロンドン経済活動行われるようになった
商売始めよう
自分のうち狭い
コーヒーハウス
行きつけ作っておいて
お店の方でいろんなサービスしてくれる

どんなサービス?
商談、店内
物の注文受付てくれる
郵便
預かってくれる 渡してくれる
自分のお店がわりに使える

典型的な例

ロイズ
最終的にロイズにくる
保険機構
船舶の保険をもともとやってて発展
船荷

ロンドン市内
ロイズ というコーヒーハウスからスタート
保険業 コーヒーハウスからスタート

17世紀後半
株の取引所
株の取引
いきつけ

日本でも兜町
株の取引と関わっているからの名前

コーヒーハウス 近代の経済活動の始まり

しかし一番近代の姿を作る上での役割 
ジャーナリズム

政治、経済とジャーナリズム切っても切れない

今みたいに情報手に入らない
口コミ
それではなかなか広まらない
新聞、雑誌発行
17世紀の半ばから
情報の価値

ダニエルデフォー
もともとダニエル フォーが本名
そのほうがいいとこの出身に聞こえる
ロビンソンクルーソー18世紀後半
書いた人
当時 ジャーナリスト
レビュー 新聞とも雑誌ともつかない
自分で刊行
自分で原稿かいていた
A3くらいの紙
表裏半分くらいずつ
週に3回
10年くらい
1人で原稿販売

読書からの手紙のコーナー
その手紙も自分で書いた
捏造
なんで?

ある政治家のお雇い
その政治家の言ってることの論調

そのほかに政治がらみの情報新聞が
できあがっていった

情報仕入れ コーヒーハウス
役に立った

政治経済

ニュース集める場所として便利

パブ
ほとんど話めちゃくちゃ

ニュースソース

一方
作った新聞雑誌
コーヒーハウスに置いてもらう
二部なり三部なり
無料で置いてもらう
手にとって読んでもらう
音読してくれる親切なやつもいる
情報が入ってくる

いまでも
地方都市いくと
昔ならの喫茶店
朝からご近所の人が
なんやかんや話してる
朝刊とか一週間たった雑誌置いてある

それと同じことコーヒーハウス

政治経済情報の伝達、ジャーナリズム
大きな役割
結果的に時代にマッチして
儲かる

100年くらい流行った
短く見積もると70年くらい

そのあと変質する
女性にも門戸を開放

博打も開放

店の雰囲気
ピューリタンの時代と変わっていく

お酒も出れば食事もでる
18世紀パブと変わらなくなってくる

イギリス経済的に繁栄
個人の住宅もよくなってくる
集会の場所できてきた

コーヒーハウス18世紀進むにつれて
本来持っていた役割できなくなってくる

息の根をとめた2点

1 いきつけの店決まる
民主的じゃなくなる、固定化

阪神ファンの居酒屋 巨人ファン入りにくい

お店によって色分けが決まってくる

コーヒーハウスのエネルギー失う

2 コーヒーそのものイギリスにとって打撃

打撃与えることした、18世紀半ば
お茶

輸入品 
インド 大英帝国の生命線
関税を低くし、どんどんお茶が出回る

最初はウーロン茶みたいなの

コーヒーが西インド原産
値段が高くなってくる

お茶が人々の飲み物として定着

コーヒーハウス

ハブ
ティーハウスに鞍替え

循環図書館みたいな役割

なかなか難しく
19世紀 コーヒーハウス姿を消す
ほとんど

例えば
巨人ファンコーヒーハウス
阪神ファンコーヒーハウス

完全に分かれてしまう
そういうお店
19世紀
会員制のクラブ

今でも上流階級のクラブある
閉鎖的な空間
非民主的

セントジェームズ
大きな看板出してない
玄関紳士 出迎える
クラブ会員の、顔知ってる

19世紀には
ティーハウス
ハブに変わっていった

飲み物といえばお茶

現在はイギリスは
お茶がよく飲まれているが
若い層
コーヒーに目が向けられてる
スタバの影響
コスタコーヒーというチェーン
それでも5割を超えない
お茶は圧倒的に美味しい
コーヒーは圧倒的にまずい
コーヒーは本当にだめ

ロンドンに滞在
色はコーヒーの色
味はしない
ただし17世紀

コーヒー入って広まって
コーヒーハウスができて
アルコール飲料に変わって
ノンアルコール広まって
お茶になった
元はコーヒーの国

250年の歴史話した

コーヒーハウスどうなってしまったのか?

はっきりとロンドン
コーヒーハウスがあった雰囲気
ほとんどない

大英博物館の近くに
一軒だけあるといわれ
行きましたが
面影なかった
それでも18世紀初め頃雰囲気残してると言われている
ほとんどない

コーヒーハウスだめになった
一般的にお茶広まった
相変わらずパブ
長い命を誇ってきた
パブ 禁煙普通
イギリス ホテル内も禁煙
17世紀の半ばごろ
コーヒーハウスの中
コーヒーとココア
チョコレートハウス
ココアツィ?という名前のお店もあった

政治経済ジャーナリズムの話
が第一

コーヒーハウス店内
初期のころタバコ吸ってた
1665年
コーヒーハウス生まれて10数年

大きなこと起こった
ペスト大流行

ペスト菌の存在知られてない
患者 斑点 身体が黒ずんで
人と人
未曾有のペスト大流行
コーヒーハウスつぶれる可能性あった
10年間1660年から日記つけた
全10巻 翻訳できた
サミュエル ピープス

社会情勢
奥さん フランス人 恐妻家
浮気あちこち 日記
書くときに暗号
そこが読みどころ
それが面白い

ピープス
1665年
ペスト大流行の模様が書かれてる
仕事がらパブ、コーヒーハウス行った
恐々
コーヒーハウス店内 
たばこの煙 体にいいのでは?
通うのやめなかった
ピープス そのせいかどうかわからないが
その時代を生き残れた

ノンアルコール、たばこ
大事なもの

1666年
ロンドン東のほうにあるパン屋
夜中2時 火事
4日間燃え続けた
ロンドン旧市街 シティ
全て燃えた
ロンドン大火

ペスト生き残ったコーヒーハウス
かなりのお店焼けてしまった
レンガづくり石造り
あれは近代

木造、藁で当時は作ってあった
強風
火事 止めようがない

テムズ川からバケツリレー
そんなもんで消えるわけがない
最終的に消した原因
火の手の方向
建物壊す許可
火事が広まる場所なくなぅた
鎮火したあとの補償問題で
躊躇していた
最後の手段

二つの出来事
最初のころのコーヒーハウスにふりかかった
しぶとく生き残った
それにプラスして
男性のみ
女性入店禁止

男の人 コーヒーハウスいりびたり
奥さんかまってくれない
国王に奥さんたち
うちの主人かまってくれない
請願書
受付けられなかったが
結局、ペスト火事女性の反発
障害をのりこえ
17世紀半ばから18世紀生き残った

ロンドン当時の中心
他の都市にも広がっていった
西部
温泉リゾート地 バース

比較的大きな街
にも

日本の中では喫茶文化
日本全国に広まってる

イギリスは
コーヒーハウスにかわってティーが飲めるところ
ティーが中心にはなったが
コーヒー

ヨーロッパにおけるカフェ文化の一番最初
遅れて
フランス、イタリア、ウィーン

今日にいたるまでカフェ
大変重要な場所
本家本元のイギリス
コーヒーハウス100年くらいの命で他のものに変わってしまった

失われたコーヒーハウス
に変わって
ヨーロッパにカフェ文化が花開いて

イタリア、パリ、ウィーン、プラハに広まった
ヨーロッパ全体にコーヒー、カフェの文化が広まっていった

コーヒーハウスの面影ないが
ヨーロッパ大陸のカフェ文化の中に残ってる

カフェ
人と人を結びつける
それが重要な要素

パブも
暴れるやつ
うじうじ
特に日本
肝臓にアルコール分解酵素ないからすぐ酔っ払う

イギリス人すぐ酔っ払わない
ビールジョッキ6杯

カフェ
いい意味で人と人を結びつける
空間

喫茶の中にも
コーヒー
喫茶店 学生時代
そういう場所 よく行ってた

国立高校
昼休み
朝からお弁当
国高う出て早足で国立駅
えちぜんラーメン屋
バスに乗って帰る
正門
体育教師
どこいってた?殴られる
夕方国立駅 ぶらぶら
今日久しぶりに国立に来てみて
喫茶店白十字まだあるんだ
当時タバコ吸ってた(笑)

懐かしい喫茶文化
大学時代
1970年代
喫茶店流行ってた
そのあと少なくなってきてる

昔美人喫茶とか
今でもあるけど、歌声喫茶などあった
コーヒー
お茶を飲みながら人と人が交流する場所
大きな役割

原点としてコーヒーハウス

時間になりましたので終わります

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第27回 全国喫茶コーナー交流会